戦後、広島県下の運送会社が「広島県貨物自動車株式会社」として統合されたが、1948年には解体されることとなり、当時、土木・建設業を営んでいた澁谷昇は、その敏腕事業家としての腕を買われて、社長に就任した。当時43歳の青年実業家は、装いも新たに「福山貨物運送株式会社」を誕生させた。設立後間もなく、澁谷は全営業所長を集め、語った。「完全な経営者とは、まず従業員を幸福にし、その企業を永久に繁栄させなければならないという義務を負わされており、また、その責任は常に全うしなければならないものと、私は思っている」。この澁谷の言葉が全従業員に伝えられると、職場は明るく活気づいた。その後、澁谷はさまざまな改革により事業を軌道に乗せ、1950年には通運事業の免許を受けて、福山通運株式会社と改称した。
福山通運の物流サービスの特長は、どんな荷物でも運ぶこと。多数の物流企業は自社のトラックを持たず外部企業に委託するが、福山通運は自社の拠点から自社のトラックで自社のドライバーが輸送する。荷物も封筒1枚からフォークリフトで上げ下げするような重量物まで。これを可能にしているのがマンパワーだ。「どんな難題でもやり遂げる」という自信。それも一人でではなく、皆で協力し合う。全員で荷物を運ぶという企業風土。それは従業員の心に深く浸透している。
トラックを広告塔にしていることは、創業以来の福山通運のポリシーだ。企業向け物流事業が中心なので、消費者向けの広告はほとんど出さない。道路を走る緑と赤の鮮やかなカラーリングのトラックが従業員たちを勇気づけ、また、社会に福山通運の存在を知らしめている。
すべての荷物を自社のネットワークと自社の従業員で輸送する。これが福山通運が輸送品質を最高レベルにキープできる大きな理由だ。そして、サービス品質も忘れてはいない。お客様本位でそのニーズに応え、満足度を高めていくことは福山通運のポリシーである。例えば、荷物の追跡システム(輸送の情報化)、自動仕分け機(迅速化)、そして「出荷支援システム(iSTAR-2)」は、福山通運が他社に先駆けて導入したものだが、お客様が出力する送り状削減のため、必要な情報を伝送で済ませることで簡素化している。荷物が荷受人の元へ届くことは当たり前のことだが、それを可能にしているのが、こうした情報システムであり、また従業員のマンパワーであり、その両方で成り立っているのだ。
いま福山通運は、予てより運送業界における人手不足問題や政府が推進する「働き方改革」等を受け、グループをあげて業務の見直しによる効率化等、様々な取り組みを実施している。平成29年10月16日より日本で初めてとなる車両全長25mのフルトレーラー「ダブル連結トラック」を導入し、愛知県名古屋市と静岡県裾野市間において運行を開始。さらには令和元年12月末に、栃木県栃木市と岩手県北上市間においても運行を開始しており,東北道で初めて25mのフルトレーラー「ダブル連結トラック」が運行することになった。平成30年10月1日より日曜日の配達・集荷を中止にした。70年間休まず走り続けてきたが、これから会社が成長するために必要なことは従業員を守ること。業界で初の取り組みとなった。「まだまだ満足しない。挑戦を忘れない。私たちはつねに成長途上。」この創業以来のスピリットで、新たな歴史に挑戦しようとしているのだ。
2002年入社 業務改善部
1998年入社 支店長